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とりあえず。雑記。

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関東JRデジタルサイネージ巡りの旅 その1。

何か~前にも似たような事がありましたが、
今回も情報を得た時すでに遅く(掲載期間7月20日~7月26日)
「空いてる日がねぇ!」「明後日行くしかねェ!!」状態だったので
もはや突撃に近い形で行ってきました。

て言うか、デジタルサイネージって何?から
掲載駅がココとココ(以下略)だから、ここから始めて
大まかにこう行ってああ行って帰って戻ってここらでお昼、
ココとココは改札外だからあーだこーだと
路線図とにらめっこしつつ道行を頭に叩き込みました。

試験勉強もこれくらい真剣にやれたら良かったのに・・・(今更)。



という訳で秋葉原からスタート!




・・・長いので続きます。

花園神社。

花園神社





新宿にも有名な神社があるのかと知って
行ってみたらば・・・アレ、ここって・・・、前に
カプコンバーに行った時にたまたま行き当たって
ふらっとお邪魔した所やんね・・・。

さすがyamaya、行く道来た道を覚えない人!!(迷子の典型)

とりあえず狛犬さんズ。


主祭神がサイトに書かれてない??ぽいのでwiki先生から。

倉稲魂命
日本武尊
受持神

「花園稲荷神社」と名前に長いこと「稲荷」が入ってたそうですが、

↑ ここ以外にはそれっぽい痕跡はないです。
ちなみにコチラは「威徳稲荷神社」。

家康さんが江戸に来る前から在り、新宿の街が開かれて
正式に鎮守とされたそうです。
元は吉野山からの勧請とありますが、何を勧請したのかは不明なんでしょうか、
書いてないけど。
それとも「吉野山からの勧請」とあれば書くまでもなく決まっている常識なんでしょうか、
ワシ知らんのだけど(汗)。
んで定着した時にはすでに名前に「稲荷」付いてる不思議よ。

隅っこにある芸能浅間神社はいかにも新宿ぽいなぁと思います。


ともあれ、やはり緑があるのは良いですね~。
背高で立派な木々と空間のおかげで都心であることを忘れます。
憩いの場ですね~。

花火の前の。

今年も葛飾納涼花火大会へ参りましたよ~。
pochiさんは色んな意味で相変わらずお元気でした。

で、例によって花火の写真は碌なものが撮れなかったのですが、
始まる前の逢魔ヶ時的お空が綺麗だったので
替わりにそちらを。








花火も未だに進化し続けてるようで、
今年は淡色の綺麗な花火が印象的でした。
葛飾の花火大会は新作(または珍しい)花火が入る所が
良いですね~。

屋台の場所が固まってて大混雑!!な点を除けば
毎年クオリティ高い花火大会だと思います。

日枝神社。

日枝神社

山王さんですな。



ご祭神 大山咋神(おほやまくひのかみ)


元々はまだ江戸が京都から遠くド田舎だった頃、
守護神として江戸氏(鎌倉時代からの武家)が山王宮を祀り、
その後太田道灌さんが鎮護の神として川越山王社を勧請したと。
その頃は江戸城内(紅葉山)にあったらしいです。

さらにその後、家康さんがやってきて「城内鎮守の社」と
崇敬されてましたが、秀忠さんの江戸城改装の折り赤坂に遷されたそうです。

江戸氏がいつ勧誘したのかよく分からんけど
道灌さん目安にすれば1478年から創立と言うことになります。



お山(丘?)の上にあるので最初からここにあったと
言われたら信じるよ・・・。

数か所鳥居がございますが、どこもこんな感じで階段を登る登るよ~。
つーか現代事情を反映してか、はたまた赤坂という立地のせいか
エスカレーターがあります!!
横から入る形になっちゃうけど。

どんだけ儲けて いやはや、親切設計ですネ!



本殿は鮮やか。内装も(見てないけど)かなり華やかなようで。

丁度茅の輪を置いてる時期でしたので、
さくっとくぐって参りましたよ。

ちょっと風邪気味だったんだよな・・・。
酷くならなかったのは茅の輪のお陰でしょうか。
若しくは狛犬さんの替わりにいらっしゃる神猿ご夫婦とか。

猿=去るで「魔が去る」、猿をえんと呼ぶと縁結び、
周囲に会社が多いから商売繁盛ともう何でもアリな感じです。


これまた朝早すぎてお店も宝物殿も開いてませんでしたわ・・・。
山王茶寮のメニューは美味しいそうなので、
今度は食べに行きたいです(食い気・・・)。

築地本願寺。

築地本願寺
ご本尊・阿弥陀如来。

1617年 浅草に創建。
1657年 大火事で消失、幕府から「こっちならお寺建ててOK」と
指定されたのが八丁堀の海上。(海上って・・・/汗)
そこで門徒の皆さんが海を埋め立て、地を築いて(築地の由来はここから)
1679年 お寺を建てたそうです。根性ですなぁ。

で、随分近代的な建物だと思ったら、関東大震災(1923年)で消失、
1934年に再建されたのだそう。

2014年 本堂、石塀、三門門柱(正門・北門・南門)が
重要文化財に指定されましたと。


外観はインド様式で、ちょっと(いや大分)「日本のお寺」とは
思えない感じですが、本堂はバリバリ「豪華な日本のお寺」です。
というか外観も仏教=インドと思えば、そんな違和感もないのか・・・。



中は撮影禁止だったのでお外だけ。

初めて来たけど、石造りの建物にまず圧倒されますね~。
明るい青緑の門ってのも珍しいですし。

そして正門から南門へショートカットしていく方々の
多いこと・・・(笑)。
軽食や和食屋さんも入ってるしね~と思ってましたが、
サイト見たら宿泊も出来るって凄いな!


中は広くて、こういう設計にされた背景や歴史について
延々とパネルで説明されております。
いかにも遠足や修学旅行や観光諸々で訪れた老若男女向け、みたいな。

パネルを読んでフラフラしてたら、お坊さんにこれから朝のお勤めを
やるんで宜しければご参加うんぬん言われて、貸出の経本を渡され
今日はここからここまでとこことここやりますとか
ご説明頂いて参加しました。・・・が、お経、どこをどう読んでるのか
もう全くさっぱり解りませんでしたすみませんでした・・・。

でもって予想違わずお坊さんの声がいい声で
すんごい眠くなりましたとさ。



見間違いでなければ・・・チョッパーの帽子を被り赤穂浪士の法被を着た
おじさん(いかにもご常連ぽい)が居られまして。
不思議に思ったら赤穂浪士の一人、間新六の供養塔があるんですね。

お家でグーグル先生に伺ってみた所、
吉良邸討ち入りの時に本願寺の側を通った際、
この方が本願寺に供養してもらえるよう手紙とお金を投げ入れたと。
で、切腹後は希望通りここに葬られたそうです。
更にその後、泉岳寺が再建され浪士全員のお墓を改葬した折に
分骨されたとの事です。

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